2022.07.20

空海|どぼく偉人ファイルNo.06 土木大好きライター三上美絵さんによる「どぼく偉人ファイル」では、過去において、現在の土木技術へとつながるような偉業や革新をもたらした古今東西のどぼく偉人たちをピックアップ。どぼく偉人の成し遂げた偉業をビフォーアフター形式でご紹介します。第6回は「満濃池(まんのういけ)」の修復に尽力した空海(くうかい)です。

空海|どぼく偉人ファイルNo.06

Before:「讃岐の水がめ」満濃池の堤防が洪水で決壊

香川県の讃岐平野では、昔から干ばつと洪水が繰り返されてきた。年間の降雨量が少なく渇水に苦しめられたかと思えば、梅雨時や台風の時期には豪雨に泣かされる。人々は大小の溜池をつくって、灌漑(かんがい)用の水をなんとかやりくりしていた。


そんな溜池の1つ、満濃池は818年の大洪水で堤防が決壊し、周辺に被害を及ぼした。朝廷の役人が復旧に着手したものの、大きな水圧に耐える堤防をつくる技術もなく、人も集まらずに工事は難航。困り果てた農民たちは、国司を通じて朝廷に、地元の豪族・佐伯氏出身の高僧である空海に工事を指揮してほしいと懇願した。


留学生(るがくしょう)として渡った唐から帰国して、現在の和歌山県北部に高野山を開き、真言密教の確立にいそしんでいた空海は、この声に応え、満濃池の修復工事を担うことになった。




After:空海の登場で難工事が一気に進んだ!

弟子たちを連れた空海が満濃池にやってくると、その徳を慕って大勢の農民が集まり、工事に参加した。また、空海と関わりの深かった渡来系技術者たちも参加したとみられる。


空海は唐で学んだ土木技術を生かし、水圧に耐えられる弓なりの堤防を築造。堤防を補強するために、土を盛っては小枝を敷いて踏み固めることを繰り返す「敷葉(しきは)工法」を取り入れた。また、水際に杭を打ち、竹や小枝などをくくりつけて洗掘(せんくつ)*を防ぐ「しがらみ(柵)」も設けた。さらに、洪水時に溢れた水を流して堤防が壊れるのを防ぐ余水吐(よすいばき)を築いた。


*洗掘:激しい川の流れ、波浪などで堤防の表面の土が削り取られる状態のこと。


こうして、821年に周囲約8.25km、面積約81haの大池が完成。3年たっても終わらなかった難工事が、わずか3カ月足らずで完了したのである。


満濃池はその後、戦国時代の洪水で決壊して450年ほど放置されたものの、江戸時代に復興。明治から昭和にかけて嵩(かさ)上げが繰り返され、1959(昭和34)年に貯水量1,540万トンの日本最大の灌漑用溜池となり、今も讃岐平野を潤している。


満濃池の全容。「満濃太郎」とも呼ばれている。(提供:満濃池土地改良区)満濃池の全容。「満濃太郎」とも呼ばれている。(提供:満濃池土地改良区)


国の登録有形文化財に指定されている「満濃池樋門(ひもん)」。安政の地震で決壊した底樋(そこひ)の代わりとして1870年(明治3)年に貫通した。底樋管の全長は197m。国の登録有形文化財に指定されている「満濃池樋門(ひもん)」。安政の地震で決壊した底樋(そこひ)の代わりとして1870年(明治3)年に貫通した。底樋管の全長は197m。(提供:まんのう町役場


今も毎年6月に、田植えのために水門を開けて池の水を金倉川へ流す「ゆる抜き」が行われている。「ゆる」は池の取水栓のことで、昔は木製の栓が使われていた今も毎年6月に、田植えのために水門を開けて池の水を金倉川へ流す「ゆる抜き」が行われている。「ゆる」は池の取水栓のことで、昔は木製の栓が使われていた。(提供:満濃池土地改良区)


池の東側にある「護摩壇岩(ごまだんいわ)」。空海が工事の無事完成を祈ってここで護摩を焚いたと伝わる。池の東側にある「護摩壇岩(ごまだんいわ)」。空海が工事の無事完成を祈ってここで護摩を焚いたと伝わる。(提供:満濃池土地改良区)




空海のここがスゴイ! ~ミカミ'sポイント~

Point:土木事業にも天才ぶりを発揮

空海は、誰もが認める天才だった。大学の勉強にも飽き足らず、1年で退学して山林で修行に入る。24歳のとき、それまでの学びの集大成として「三教指帰(さんごうしいき)」を執筆。31歳で留学生として唐へ渡り、土木や建築の技術である「工巧明(くぎょうみょう)」を含む「五明(ごみょう)の学」を修めた。


恵果(えか/けいか)和尚に出会った空海は、即座に密教を伝授された。そのときすでに、密教の理解に欠かせないサンスクリット語にも習熟していたと言われる。恵果から、「すぐ日本へ帰り、この教えを広めるように」と諭された空海は、20年間の予定だった留学を2年で切り上げ、帰国した。


帰国後の空海は、マンダラ図や仏像、多くの著作物などを制作するとともに、修行道場として高野山を開いた。同時に、故郷の「満濃池」の修復のほか、瀬戸内海「大輪田泊(おおわだのとまり)」の港湾整備、庶民のための私立学校の開設など多方面に尽力した。僧侶でありながら多くの土木事業を手掛けたのは、空海にとって、これら全てが「真言」すなわち、衆生(生きとし生けるもの)が共に生きるための「知の規範」の実践だったからだ。


当時の日本にはなかった「アーチ型堤防」のアイデアや堤防の位置など、満濃池に取り入れられた工学的な工夫は、今の土木技術者が見ても合理的であったとされる。まさに万能の天才ぶりが現れている。


※記事の情報は2022年7月20日時点のものです。

【PROFILE】
三上美絵(みかみ・みえ)
三上美絵(みかみ・みえ)
土木ライター。1985年に大成建設に入社。1997年にフリーライターとなり、「日経コンストラクション」などの建設系雑誌や「しんこうWeb」、「アクティオノート」などのWebマガジンなどに連載記事を執筆。一般社団法人日本経営協会が主催する広報セミナーで講師も務める。著書に「かわいい土木 見つけ旅」(技術評論社)、「土木技術者になるには」(ぺりかん社)、共著に「土木の広報」(日経BP)。土木学会土木広報戦略会議委員、土木広報大賞選考委員。
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