2022.06.08

徳川家康|どぼく偉人ファイル No.05 土木大好きライター三上美絵さんによる「どぼく偉人ファイル」では、過去において、現在の土木技術へとつながるような偉業や革新をもたらした古今東西のどぼく偉人たちをピックアップ。どぼく偉人の成し遂げた偉業をビフォーアフター形式でご紹介します。第5回は「利根川東遷(とうせん)」や「荒川西遷(せいせん)」を行った、徳川家康です。

徳川家康|どぼく偉人ファイル No.05

Before:広大な湿地帯だった未開の江戸

1590年に徳川家康が入府したとき、江戸はまだ遠浅の海に連なる広大な湿地帯だった。家康は早速、太田道灌(おおた・どうかん)が築いた江戸城の増築や城下町、濠(ほり)を含めた「総構(そうがまえ)」の整備に着手した。


その20年後には、江戸の人口は15万人ほどに増えていたといわれる。このまま人口が増え続ければ、人々の食糧や生活物資の需給がひっ迫することは目に見えている。膨張する都市の需要を賄うためには、新田を開発するとともに、舟運(しゅううん)による物流を強化しなければならない。同時に、伊達政宗(だて・まさむね)のいる東北方面の守りを固める必要もあった。


いっぽうで、江戸のまちは度重なる洪水に悩まされていた。当時、利根川は上流で荒川などと合流したり分かれたりしながら東京湾へ注いでおり、雨が降るとたびたび水害を引き起こしていたのだ。




After:舟運が発達し、水害が減少。江戸の礎が築かれた

家康は、利根川と荒川を分離し、利根川の流れを東へ、荒川の流れを西へ変える計画を立てた。これを現在では「利根川東遷、荒川西遷」と呼んでいる。家康に命じられて実際の河川工事を担ったのは、関東郡代の伊奈忠次(いな・ただつぐ)。


1621年に始まった利根川東遷事業は、伊奈氏三代にわたって引き継がれ、33年後の1654年に完成。利根川の水は、新たに掘削した赤堀川や多くの湖や沼をつなげた常陸川(ひたちがわ)を流れ、現在の千葉県銚子市で太平洋に注ぐことになった。


1629年からは荒川西遷事業も並行して行われた。荒川は、現在の埼玉県熊谷市久下で利根川と切り離され、入間川を通って東京湾に注ぐようになった。


こうして市中は洪水が減り、舟運による物流が活発になり、新田が拓かれた結果、江戸は人口100万人に及ぶ世界屈指の大都市として発展したのである。


利根川東遷の様子利根川東遷の様子
出典:国土交通省 関東地方整備局利根川上流河川事務所ホームページ


荒川西遷の様子荒川西遷の様子
出典:国土交通省 関東地方整備局荒川上流河川事務所のホームページ


利根川改修工事の一環として1921年に完成した横利根閘門(よことねこうもん)。国の重要文化財に指定されている利根川改修工事の一環として1921年に完成した横利根閘門(よことねこうもん)。国の重要文化財に指定されている


荒川と旧中川の合流地点に設けられている荒川ロックゲート(2005年に完成)荒川と旧中川の合流地点に設けられている荒川ロックゲート(2005年に完成)




徳川家康のここがスゴイ! ~ミカミ'sポイント~

Point1:計算し尽くされた江戸の水インフラシステム

家康のすごさは、全体を俯瞰(ふかん)した計画力にある。なかでも、壮大なスケールで「水」のインフラシステムを考案していたことに驚かされる。


まず、利根川東遷、荒川西遷で江戸市中の洪水リスクを下げるとともに、多くの運河や湊(みなと)を整備したこと。また、家康は入府前から、飲水を確保するために、「小石川上水」と呼ばれた水道を計画したといわれている。こうした一連の計画にもとづく土木工事は、家康の死後も着々と進められた。



Point2:「天下普請」でインフラ整備

家康は、城や河川改修、運河、街道の整備などの土木事業を全国の大名に割り振り、手伝わせた。いわゆる「天下普請(てんかぶしん)」と呼ばれるインフラ整備システムだ。これにより大規模な土木事業が迅速に進んだうえ、最新の土木技術が全国に波及する効果もあった。


さらに天下普請には、資材や労働力を負担させることで諸大名の蓄財を防ぎ、勢力を抑える意味もあったとされる。家康の没後もこのシステムは続けられ、これが徳川幕府の体制を強固にする一因となり、約260年にわたる戦乱のない治世につながった。


※記事の情報は2022年6月8日時点のものです。
※追記:2023年9月20日に再編集しました。

【PROFILE】
三上美絵(みかみ・みえ)
三上美絵(みかみ・みえ)
土木ライター。1985年に大成建設に入社。1997年にフリーライターとなり、「日経コンストラクション」などの建設系雑誌や「しんこうWeb」、「アクティオノート」などのWebマガジンなどに連載記事を執筆。一般社団法人日本経営協会が主催する広報セミナーで講師も務める。著書に「かわいい土木 見つけ旅」(技術評論社)、「土木技術者になるには」(ぺりかん社)、共著に「土木の広報」(日経BP)。土木学会土木広報戦略会議委員、土木広報大賞選考委員。
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