2021.10.06
田辺朔郎|どぼく偉人ファイルNo.01 土木大好きライター三上美絵さんによる「どぼく偉人ファイル」では、過去において、現在の土木技術へとつながるような偉業や革新をもたらした古今東西のどぼく偉人たちをピックアップ。どぼく偉人の成し遂げた偉業をビフォーアフター形式でご紹介します。第1回は「琵琶湖疏水」を造った、田辺朔郎です。

Before:
人口減少と産業衰退に苦しんでいた維新後の京都
1880年代の京都は、「狐狸の棲家(こりのすみか)」と呼ばれるほど荒れ果てていた。明治維新の翌年には首都が東京へ移り、幕末の動乱で市街地の多くが焼き払われていたこともあって、人口の減少と産業の衰退に悩まされていたのだ。
当時の京都府知事・北垣国道は、大規模なインフラ建設によって京都の経済を再生させようと、「琵琶湖疏水」を計画した。疏水とは「水路」のこと。琵琶湖から約20km離れた京都市内まで水路を建設し、湖水で水車を回して製造業の動力にするとともに、不足していた灌漑(かんがい)用水や防火用水として利用する。同時に、水路を舟運のために活用する構想だった。
この工事の設計と施工の全てを託されたのが、工部大学校(東京大学工学部の前身)を卒業したばかりの田辺朔郎だ。実は田辺は在学中から独自の研究テーマとして琵琶湖疏水計画の調査を行い、卒論にまとめていた。この実績を買われ、工事のリーダーに抜擢(ばってき)されたのだ。
After:
水力発電の電力で産業が振興、都市再生に成功
琵琶湖疏水の建設は規模の大きさもさることながら、ルート上には「長等山(ながらやま)トンネル」の難工事が待ち受けていた。トンネルは約2,500mという当時では前例のない長さだった。田辺は山の両側から掘るだけでなく、中間に竪坑(たてこう、垂直なシャフトのこと)を掘り、その底からも両方向へ掘り進む方法を考案。数カ所で同時に工事を行うことで、工期の短縮を図った。
大量の湧水に苦しめられながらも、なんとか長等山トンネルを掘り抜いた田辺は、アメリカで水力による発電事業が試行されていると聞いてただちに渡米して視察。水力発電の将来性を見抜き、琵琶湖疏水の水車動力を発電事業へ変更することを決意した。その計画はアメリカの10倍以上にあたる2,000馬力の規模で、世界の先駆けとなった。
第一疎水断面図
水力発電のためには、落差をつけて一気に水を落とす必要がある。しかし、水路に大きな水位差があると、舟は通れない。そこで田辺は、斜面にレールを敷き、台車に舟を載せて落差を越えさせる傾斜鉄道「インクライン」を設置。発電した電気でこれを動かした。
1890年4月9日、琵琶湖疏水は通水式を迎えた。水力発電によって生み出された電力は日本初の路面電車をはじめ交通機関や工業、電灯に絶大な能力を発揮。寂れていた京都市の運命は一変して商工業が盛り返し、人口も増加に転じた。
10年後の1900年には発電量の増強を目的とする新水路「第二疏水」の構想が打ち出され、再び田辺が市の顧問として調査・設計・監督を担うことになった。上水道事業の創設、道路拡幅や電気軌道の敷設も並行し、工事は1912年に竣工。現在の京都市の原型が完成した。
現在の琵琶湖疎水全体図(平成29年現在)
南禅寺水路閣(1996年国の史跡に指定)
掲載写真はすべて「琵琶湖疎水のご紹介」京都市上下水道局よりお借りしました。同ホームページでは、年代ごとの琵琶湖疎水の変遷詳細ほか、琵琶湖疎水を360度VRコンテンツで見ることができます。
田辺朔郎のここがスゴイ! ~ミカミ'sポイント~
Point1:土木技術者としての揺るぎない信念と実行力
琵琶湖疏水の工事に着手したとき、田辺はまだまったく無名の23歳の青年だった。日本で技術指導をしていた外国人をはじめ多くの人たちが無謀だと反対する中で、田辺は土木技術者としての信念を貫き、日本人だけの力でこの大事業を成し遂げた。
工事に使う重機は国内にはなく、輸入するルートも確立していない。セメントやレンガさえ十分な量を入手するのが難しい時代だ。しかも、サポートしてくれる人材はほとんどいない。田辺はレンガ製造所を造り、指南書を書いて部下を指導し、寝る間を惜しんで外国の論文を読むことで知識を吸収。長等山トンネル工事では、自ら作業員の先頭に立って坑内に入り、工事を指揮したという。
Point2:先見性と判断力、変更も辞さない決断力
「これからは水力発電の時代になる」と予測した田辺は、水車動力から水力発電への切り替えを決行した。工事がかなり進んでいた段階での設計変更は、失敗すれば多大な損失を負う。しかも当時、水力発電はまだ世界でもほとんど実績がない未知の技術だった。
しかし田辺は、綿密な調査に基づく研究の結果、発電用水車の速度調整さえうまくいけば必ず成功すると確信し、調整機を独自に設計。まさにこの読みは的中し、京都は水力発電の本場として世界中の注目を集めることになった。
新しい技術を果敢に取り入れる気概と、科学的なエビデンスに基づく判断、勇気ある決断は、田辺の土木偉人たるゆえんといえる。
※記事の情報は2021年10月6日時点のものです。
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- 三上美絵(みかみ・みえ)
土木ライター。1985年に大成建設に入社。1997年にフリーライターとなり、「日経コンストラクション」などの建設系雑誌や「しんこうWeb」、「アクティオノート」などのWebマガジンなどに連載記事を執筆。一般社団法人日本経営協会が主催する広報セミナーで講師も務める。著書に「かわいい土木 見つけ旅」(技術評論社)、「土木技術者になるには」(ぺりかん社)、共著に「土木の広報」(日経BP)。土木学会土木広報戦略会議委員、土木広報大賞選考委員。