2026.03.18
I.A.リンド|どぼく偉人ファイルNo.25 「どぼく偉人ファイル」第25回は、利根川をはじめ河川の改修工事を指導した外国人技師、I.A.リンドです。それまでバラバラだった日本の測量に「絶対的な基準面」を導入し、その基準は約150年たった現代でも使われ続けています。お雇い外国人技師、リンドの功績をビフォーアフター形式で紹介します。
文:三上 美絵(ライター)

Before:統一的な高さの基準がなく河川改修が困難
徳川家康が計画した東遷事業(とうせんじぎょう)によって、利根川の流れは人為的に東へ変えられていた。その結果、明治時代には大量の土砂が堆積し、少しの雨で氾濫するようになっていた。
また、鉄道が普及するまでの利根川は、東北や北関東の物資を東京へ運ぶ舟運(しゅううん)の大動脈であり、土砂がたまると船が座礁してしまうことから、常に川底を一定の深さに保つ必要があった。
明治政府はこれらの課題を解決するため、利根川の大改修に乗り出した。しかし、江戸時代には藩ごと、工事ごとに独自に土地の高さや水位を測っており、統一の基準がなかった。正確に測量することができなければ、堤防をどの高さまで築けばよいか、川底をどこまで掘ればよいか決められない。
そこで政府は、各分野で西洋技術の導入のために招いた「お雇い外国人」として、当時世界最高峰の運河・防波堤技術を持っていたオランダ人技師団に河川改修の指導を求めた。I.A.リンドは、そのメンバーの一人だ。
After:河川管理に不可欠な流域全体の統一基準を確立
近代測量において、高さの基準は「平均海面」に設定される。海面は潮の満ち引きで常に動いているため、長期間にわたって潮位を観測し、その平均値を「標高0m」と定義する。
リンドは1872(明治5)年に来日するとすぐに、千葉県銚子市の利根川河口の潮位を観測し、基準面を決定。そこから3.2505m高い陸上の点として、近くの飯沼山圓福寺(通称:飯沼観音)の境内に「水準原標石」を設置した。海面は変動するが、石は動かないので、測量の起点として合理的だからだ。
日本初の水準測量の原点であることから、リンドはこれを「Japan Peil(日本水位尺、J.P.)と名付け、この原標を起点として全体の「高さの基準」を定めた。広大な利根川流域全体を管理することを可能にしたこの基準は、その後の利根川大改修に不可欠なものとなった。
また、江戸川河口の千葉県浦安市には堀江水準標石を設置し、「Yedogawa Peil(江戸川水位尺、Y.P.)」を定めた。
リンドの残したこれらの基準は、現在でも利根川・江戸川系統の治水・土木工事において共通の基準として使われ続けている。

飯沼山圓福寺境内(五重塔裏手左隅)に設置されている飯沼水準原標石。69.3cm四方の石柱が地中に埋められ、地表に露出している石柱上端部にある小盤の上を基準点としていたが、現在小盤は欠けた状態になっている(出典:犬吠埼灯台大百科)
リンドのここがスゴイ! 〜ミカミ'sポイント〜
Point 1:日本の測量に"共通言語"をもたらした
リンドの最大の功績は、それまでバラバラだった日本の測量に「絶対的な基準面」を導入したことだ。彼はまず「何をもって0mとするか」というルールを科学的に定めた。堤防やダムのような巨大な構造物は、高さの基準なしにはつくれない。また、この基準のおかげで、水害時にも「上流でこれだけ水位が上がれば、下流の堤防は何時間後に何cmまで耐えられるか」という精密なシミュレーションが可能になった。
基準づくりにあたってリンドがこだわったのが、「最低潮位より下」に基準面を設定することだった。もし「平均的な海面」を0mとすれば引き潮のときには水位が「マイナス」になってしまうが、この方法であれば川のどの地点をいつ測っても数値は必ず「プラス」になる。「数値が大きければ上流、小さければ下流」という関係が常に維持されるため、現場の技術者が計算ミスをせず、直感的に水の流れや逆流の危険を判断できるというわけだ。
東京でJ.P.やY.P.などを定めたリンドは、1874(明治7)年に大阪のすべての水の高さのものさしとなるO.P.(大阪湾最低潮位)を決定。これらの基準は、約150年がたちデジタル技術が発達した現代でも、日本の河川管理の現場で現役の単位として使われ続けている。一過性の工事ではなく、100年先、200年先の日本人が困らないための「共通言語」を残してくれたのが、リンドのすごいところだ。
Point 2:徹底した「現場主義」と日本人への技術伝承
リンドは日本人に指図をするのではなく、自ら泥にまみれて現場を歩く実務家だった。当時、道も整備されていない利根川や淀川の流域を、重い測量機器を担いで歩き回り、正確なデータを積み上げた。その背中を見ていた日本人助手は、「西洋の技術とは、これほどまでに緻密で、根気のいるものなのか」と衝撃を受けたと言われている。
利根川の水準測量では、銚子の原標石をスタートし、レベル(水準儀)と標尺を交互に立てながら進む。一度に測れる距離はわずか数十m。これを河口から上流まで、何十km、何百kmと繰り返した。途中で一箇所でも計算や目盛りの読みを間違えると、その先のデータはすべて使えなくなる。リンドは日本人助手たちに「往復測量(行って帰ってきて、数値が一致するか確認する)」を徹底させ、数mmのズレがあれば何度でもやり直しを命じる厳しさだったという。
リンドが帰国した後、日本人が自力で近代的な治水事業を継続できたのは、リンドが「測量技術そのもの」を日本に残したからだった。
リンドの自筆による利根川の水準測量予定コース
L. V. Gasteren, "Die eeuwige rijst met Japansche thee",2002,Amsterdam,P.175(出典:犬吠埼灯台大百科)
※記事の情報は2026年3月18日時点のものです。

- 三上美絵(みかみ・みえ)
土木ライター。1985年に大成建設に入社。1997年にフリーライターとなり、「日経コンストラクション」などの建設系雑誌や「しんこうWeb」、「アクティオノート」などのWebマガジンなどに連載記事を執筆。一般社団法人日本経営協会が主催する広報セミナーで講師も務める。著書に「かわいい土木 見つけ旅」(技術評論社)、「土木技術者になるには」(ぺりかん社)、共著に「土木の広報」(日経BP)。土木学会土木広報戦略会議委員、土木広報大賞選考委員。






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