2023.05.24
将来の大地震に備えた防災対策〈前編〉「フェーズフリー」の意識改革を【建設×SDGs⑥】 1923年9月に発生した関東大震災から今年で100年。日本では近い将来、南海トラフ沿いの巨大地震と首都直下地震が発生する可能性が高いと指摘されています。今年2月にはトルコ・シリア大地震が発生し、甚大な被害をもたらしました。改めて大地震への備えや防災対策が強く意識されるようになりましたが、では私たちは何をすればよいのでしょうか。都市震災軽減工学や国際防災戦略論が専門の東京大学教授で大学院情報学環・総合防災情報研究センター長の目黒公郎(めぐろ・きみろう)さんに、地震対策について聞きました。前編では大地震による被害を軽減するために必要な意識改革などについてうかがいました。
文:長坂邦宏(フリーランスライター)

大災害は国家の衰退にもつながる
──今後30~50年くらいの間にマグニチュード8(M8)クラスの巨大地震が4〜5回、M7クラスの地震は40〜50回発生すると考えられているそうですね。
それは2011年の東日本大震災が起こる前からいわれていたことです。M8クラスの代表が南海トラフ沿いの巨大地震、後者の代表が首都直下地震です。適切な対策を講じない場合、これら一連の地震による被害は、政府中央防災会議(2012年、13年)によれば、日本の国内総生産(GDP)の約6割に達します。直接被害額は、南海トラフの巨大地震で約220兆円、首都直下地震で約95兆円と想定されています。
しかし、これらの被害は地震後の津波災害や延焼火災までで、長期的な経済損失は含まれていませんでした。そこで、土木学会が2018年に、巨大地震による長期的な影響を試算しました。その総額は、南海トラフの巨大地震で約1,541兆円、首都直下地震では約855兆円に上るものでした。
──もしそうしたレベルの被害が実際に発生すれば、国の衰退につながってしまいそうです。
歴史を振り返れば、大地震によって国が衰退した例は幾つかあります。例えば1755年11月にポルトガルの首都リスボン市の沖合約300kmで起こったM8.5からM9の巨大地震です。リスボン地震といわれますが、この地震では、まず最初の揺れでリスボン市内の建物は甚大な被害を受けます。さらにその後に襲った津波と火災でリスボン市は壊滅的な状態になり、市の人口の約3分の1が亡くなり、直後被害のみで同国のGDPの1.5倍以上を失いました。海運や植民地政策で世界をリードしていたポルトガルは、一気に国力が衰えてヨーロッパの一流国ではなくなってしまいました。
日本では1853年のペリーによる黒船来航から10年にも満たない間に大規模な自然災害とパンデミックが続き、江戸幕府が滅ぶ大きな要因になりました。実はペリー来航の4カ月前には小田原地震があり、小田原城の天守が大破しています。1854年3月には日米和親条約が締結されますが、同年の旧暦11月4日と5日に、安政の東海地震と南海地震がわずか31時間の時間差で連動して発生してしまい、激しい地震動と津波で、我が国の太平洋沿岸が壊滅的な被害を受けました。
その1年もしない翌年1855年10月(旧暦)には安政江戸地震、つまり首都直下地震が起こり、江戸で約1万人の死者が発生しました。幕府のさまざまな施設が被災したので、幕府は諸藩に支援を求めますが、諸藩の江戸屋敷にも甚大な被害が出ましたし、特に西日本の藩では1年前の震災からの復旧で大変な時期ですから、反発も生まれました。
次に、安政の江戸地震から1年もしない旧暦の1856年8月には、江戸湾(現在の東京湾)を巨大台風(安政江戸暴風雨)が直撃し、江戸だけで10万人の死者が出ました。これは、日本史上最悪の風水害といわれていますが、水害で多数の死者が発生したために疫病(コレラ)が流行り、それが何年か続きました。1858年には江戸だけで約3万~10万人が亡くなりました。
この年は日米修好通称条約が締結された年ですが、コレラはその後も流行り続けます。そして、1862年にはこれに麻疹が加わり、江戸だけで20万人を超える人が亡くなったのです。このように、ペリーの来航から10年もしない間に、大きな自然災害とパンデミックに繰り返し襲われ、江戸幕府は財力と求心力を大きく失い、これが幕府滅亡の大きな原因のひとつになったのです。
防災対策は「コスト」から「バリューへ」
──地震大国である日本で被害を最小限に抑えるためには、どうすればよいでしょうか。
そのためには災害が起こるまでの時間を有効活用して、総合的な災害管理対策を実施しなくてはいけません。
総合的な災害管理対策は、防災における「自助」「共助」「公助」の各担い手が、対象地域の災害特性と防災対策の実状に合わせて、それぞれ、3つの事前対策と4つの事後対策、さらにハード(主として構造物による防災対策)とソフト(構造物以外による防災対策)に分け、これらを適切に組み合わせて実施していくことです。
──事前対策と事後対策について、もう少し詳しく教えてください。
3つの事前対策とは「被害防止」「被害軽減」「災害の予知と早期警報」で、4つの事後対策とは「被害評価」「(緊急)災害対応」「復旧」「復興」です。
7つの対策を簡単に説明すると、「被害抑止」は構造物の性能アップと危険な地域を避けて住む土地利用制限によって被害を発生させない対策です。次の「被害軽減」は、被害抑止対策だけでは賄いきれずに発生する災害に対して、事前の備えでその影響が及ぶ範囲を狭くしたり、波及速度を遅くしたりする対策です。具体的には、災害対応のための組織づくり、事前の復旧・復興計画や防災マニュアルの整備、日頃からの訓練などです。3番目として発災の直前にやるべきことは、「災害の予知と早期警報」で、ここまでが事前対策です。
事後対策として、発災後にまずすべきことは「被害評価」で、被害の種類と規模、その広がりをなるべく早く正確に把握することです。次がその結果に基づいた「(緊急)災害対応」です。この主目的は人命救助と2次災害の防止、被災地が最低限持つべき重要機能の早期回復です。被災地の回復までは対象としていないので、「復旧」「復興」が必要になります。「復旧」は元の状態まで戻すことですが、その状態で被災したことを考えれば不十分なので、改善型の復旧としての「復興」が必要となります。
災害、特に大規模災害は、その災害の発生の有無にかかわらず、被災地が将来的に直面する問題を、時間を短縮するとともに、より甚だしく顕在化する特徴があります。ゆえに、起こってほしくない災害ですが、起こったことを前提にすれば、被災地の大きな課題を改善できる貴重な機会でもあるので、これを有効活用して、災害の前よりもいい状態につくり変えようというのが「より良い復興(Build Back Better:ビルドバックベター)」です。
従来、我が国の防災対策は、国・都道府県、そして市町村の行政が公金を使って実施する「公助」が主流でした。しかし、現在の少子高齢化や人口減少、財政的な制約を考えると、「公助」の割合を維持していくことは不可能です。この「公助」の目減り分は「自助」と「共助」で補うしかないわけですが、これまでのように、それらの担い手である個人や会社、NPOやNGOを含むグループやコミュニティーの「良心」に訴える防災は、もはや限界です。
──「自助」と「共助」で補うためには、何が必要ですか。
防災対策のソフト・ハードを「防災ビジネス」として展開し、国内外に魅力的な市場を形成していくことが重要です。ここで重要になってくるのが、防災に対する意識の改革で、具体的には、「防災対策のコストからバリューへ」、そして「フェーズフリー防災」です。
これまでは行政も民間も、防災対策を「コスト」として見てきましたが、これからは「バリュー(価値)」をもたらすものとして捉える必要があります。また、時間的・空間的に非常に限定的な現象である災害時にのみ役立つ対策には投資しにくいので、これからの防災対策の主目的は平時の生活の質(QOL=クオリティ・オブ・ライフ)の向上であり、それがそのまま災害時にも有効活用できるという、平時と有事を分けないフェーズフリーな防災対策が重要です。つまり、フェーズフリーでバリュー(価値)型の防災対策は「災害の有無にかかわらず、平時から組織や地域に価値やブランドをもたらし、これが継続される」ものになるというわけです。
いっぽうで、「公助」も質的に変わる必要があります。従来の行政が公金を使って実施する「公助」から、「自助」と「共助」の担い手が、自立的・自発的に防災対策を推進したいと思える環境整備としての「公助」への変質です。
ハードとソフトの両面から災害に強い社会を実現する
──防災ビジネスとはどんなものでしょうか。
私は防災ビジネスを創造し、育成する研究会をもう20年近くやっています。そこではさまざまな防災ビジネスが議論され、社会実装も実現しています。いっぽうで問題を生む防災ビジネスや防災グッズに関しては警鐘を鳴らしてきました。夜間の地震発生時に十分な時間の照明を確保しないで電力を断つ感震ブレーカーなどがその一例です。
防災上効果的な防災ビジネスの好例としては、日本政策投資銀行(DBJ)の災害レジリエンスの向上に貢献する融資制度「DBJ BCM格付融資」があります。私の研究室の卒業生が精力的にこの制度設計と実装を進めましたが、これは防災力と事業継続力の両面から企業の災害に対する備えを評価し、その結果を格付けします。格付けの高い会社は、同じ規模の自然災害が襲った場合でも被害は相対的に軽微になるので、信頼性の高いビジネスパートナーと言えます。
ゆえに、このような会社には低利での融資など、有利な金融サービスを提供することができます。この状態は、企業から見れば、防災対策をすることがコストではなく、バリューを生んでいることが分かります。しかも、その状態を維持したいので、おのずと継続性が生まれ、災害の有無に関わらず、その会社にはバリューが流れつづけ、それが社会的な信頼やブランド力を生むわけです。
ほかにもさまざまな防災ビジネスが生まれていますが、私たちの研究室では「コストからバリュー」と「フェーズフリー」という2つのキーワードのもと、ハードとソフトの両面から災害に強い社会を実現する戦略研究を行っています。
最終的にハード対策で被害を軽減するには構造物を強くすることが必要ですが、それを実現するためにはソフト面が重要になってきます。例えば、地震防災で最も重要な脆弱な建物の耐震補強を例にすれば、これ自体はハード対策ですが、これを実施するには、まずは耐震性を評価する手法の開発が必要であり、これはソフト対策です。また、耐震補強技術そのものの研究とともに、それを推進する環境整備としてのインセンティブや制度設計なども必要なので、これらの研究も行っています。
※記事の情報は2023年5月24日時点のものです。
- 目黒公郎(めぐろ・きみろう)
東京大学教授、東京大学大学院情報学環・総合防災情報研究センター長。東京大学大学院修了(工学博士)。研究テーマは「構造物の破壊シミュレーション」から「防災の制度設計」まで広範囲に及ぶ。「現場を見る」「実践的な研究」「最重要課題からタックル」がモットー。国内外の30を超える自然災害の現地調査を実施。内閣府本府参与、中央防災会議専門委員のほか、多数の省庁や自治体、ライフライン企業等の防災委員、日本自然災害学会会長、地域安全学会会長、日本地震工学会会長、国際地震工学会「世界安全推進機構」理事などを歴任。主な編著書は「被害から学ぶ地震工学─現象を素直に見つめて─」(鹿島出版)、「地震のことはなそう」(自由国民社)、「ぼくの街に地震がきた」「じしんのえほん」(以上、ポプラ社)、「間違いだらけの地震対策」(旬報社)など。
後編へ続く