2025.06.11
井上勝|どぼく偉人ファイルNo.19 「どぼく偉人ファイル」第19回は、「日本の鉄道の父」と呼ばれ、鉄道建設に人生を捧げた井上勝です。日本人技術者を育て、鉄道網の全国への拡大に貢献した井上の偉業のビフォーアフターを、土木大好きライター三上美絵さんが紐解きます。

Before:イギリスに依存していた明治初期の鉄道建設
日本で初めて鉄道計画がつくられたのは、1869(明治2)年のことだった。東京~京都間を結ぶ幹線と、東京~横浜、京都~神戸、琵琶湖畔~敦賀を結ぶ3支線が廟議(びょうぎ:朝廷の評議のこと)決定したのだ。
だが、当時の日本には鉄道建設の資金も技術力も足りなかった。そこで、建設費は英ロンドンで外債を発行して調達し、設計や工事はイギリス出身のお雇い外国人技術者のエドモンド・モレル(「どぼく偉人ファイル」第18回)が技師長として指揮した。
モレルは新橋~横浜間の工事の途中で亡くなったが、イギリス人技師ジョン・ダイアックが後を引き継いだ。そのダイアックを補佐して工事を完成させたのが、留学先のロンドンで鉱山技術と鉄道技術を学んだ井上勝だ。
こうして1872(明治5)年に、日本初の鉄道として新橋~横浜間が開通。とはいえ、当時はまだ鉄道の経営も、機関車の運転もイギリス人に頼るしかなかった。
JR品川駅の改良工事中に発掘された高輪築堤(たかなわちくてい)跡。日本初の鉄道建設にあたり、東京湾の浅瀬に堤を築いて線路を敷いた跡だ。2021年に国の史跡に指定された(写真提供:港区立郷土歴史館)
After:日本人技術者が育ち、全国に鉄道網が拡大
鉄道を管轄する鉄道寮の初代・鉄道頭(てつどうがしら)となった井上は、1874(明治7)年に神戸~大阪間、1877(明治10)年に京都~大阪間を開通させた。明治政府はその頃から、お雇い外国人技術者たちを段階的に解雇していく方針をとった。技術的な自立を目指したのだ。
鉄道寮が鉄道局に変わり、局長となった井上は、日本人技術者を養成する「工技生養成所」を大阪に開設。生徒たちを京都~大津間などの鉄道工事に配置し、技術を学ばせた。1880(明治13)年には逢坂山(おうさかやま)トンネルが開通。日本人技術者だけで掘り抜いた初めてのトンネルとなった。
1889(明治22)年には東海道線が全線開通し、予定線のすべてが完成。全国へ鉄道網が拡大していった。
日本人だけで工事を成し遂げた旧東海道本線の逢坂山トンネル東口坑門。西口は名神高速道路の建設に伴い、地中に埋められた。トンネルの長さは664.76mだった(出典:SRIA, Public domain, via Wikimedia Commons による)
井上勝のここがスゴイ! 〜ミカミ'sポイント〜
Point1:鉄道に人生を捧げた"鉄道の父"
東海道線全通の翌年、鉄道局が鉄道庁になると、井上は初代長官に就任。鉄道創設に力を注ぎ、当時の主要な鉄道路線のほとんどに関与した。1893(明治26)年に退官した後も、大阪に汽車製造合資会社を設立し、機関車の国産化に尽力した。
また、1909(明治42)年には鉄道職員の養成を目的とする帝国鉄道協会の会長、翌年には鉄道院の顧問に就任している。そして1910(明治43)年、ヨーロッパへ渡り各地の鉄道を視察している途中で持病が悪化し、客死した。最期の瞬間まで、まさに鉄道に捧げた人生だった。
Point2:"長州ファイブ"の一翼としてイギリスへ密航
長州藩士の子として現在の山口県萩市で生まれた井上は、藩校で蘭学を学んだ後、長崎で洋学兵法を学ぶ。その後、江戸へ出て航海術などを学んでもまだ飽き足らず、函館や横浜で英語を習得。海外留学を志すようになった。
1863(文久3)年、ついに井上は藩に願い出て、欧米の最先端の知識と技術を学ぶべく、同藩の4人とともにイギリスへ渡った。海外渡航など許されない鎖国時代に、国禁を破って密航したのだ。井上は、当時まだ19歳。どれだけ強い志を持っていたかが分かる。
同行者は、後に初代総理大臣となる伊藤博文、同じく初代外務大臣となる井上馨、"工学の父"と呼ばれた山尾庸三、造幣局長となった遠藤謹助という錚々(そうそう)たるメンバーだった。イギリスで日本との国力の差を目の当たりにした5人は、それぞれの分野で猛勉強。最年少の井上勝は、ロンドン大学で地質学などを学ぶとともに、鉱山や鉄道の技術を現場で習得。明治維新後の新政府で活躍し、近代日本の礎を築いた。
※記事の情報は2025年6月11日時点のものです。
- 三上美絵(みかみ・みえ)
土木ライター。1985年に大成建設に入社。1997年にフリーライターとなり、「日経コンストラクション」などの建設系雑誌や「しんこうWeb」、「アクティオノート」などのWebマガジンなどに連載記事を執筆。一般社団法人日本経営協会が主催する広報セミナーで講師も務める。著書に「かわいい土木 見つけ旅」(技術評論社)、「土木技術者になるには」(ぺりかん社)、共著に「土木の広報」(日経BP)。土木学会土木広報戦略会議委員、土木広報大賞選考委員。