2023.04.26

田中 豊|どぼく偉人ファイルNo.10 土木大好きライター三上美絵さんによる「どぼく偉人ファイル」では、過去において、現在の土木技術へとつながるような偉業や革新をもたらした古今東西のどぼく偉人たちをピックアップ。どぼく偉人の成し遂げた偉業をビフォーアフター形式でご紹介します。第10回は関東大震災後の帝都復興事業において、復興橋梁全般の設計指揮を執った田中豊です。

田中 豊|どぼく偉人ファイルNo.10

Before:関東大震災で多くの橋が焼失・破損

今からちょうど100年前の1923(大正12)年9月1日、関東大震災が発生した。死者・行方不明者は10万5,000人を超え、死者のうち9割近くは、地震によって発生した火災による犠牲者だった。


当時の東京の橋は、鉄橋や鉄筋コンクリート橋もあったものの、6割が木橋であり、その多くが焼け落ちた。しかも、本来は燃えにくいはずの鉄橋も、橋床や橋脚などに木材を使用していたため、ほとんどが焼失や破損の被害を受けてしまった。


なかでも、区の面積の9割以上が焼失した神田・日本橋・京橋・浅草・本所・深川の各区では、橋の被害も甚大だった。陸からの飛び火が、橋を渡って避難しようとする人々の家財に燃え移ったり、橋の下を通る船の火災が引火したりしたことが原因と見られる。木橋は焼け落ち、鉄橋も長時間の火災により鉄部が曲がり、橋の中央部が垂れ下がる状態に陥った。


隅田川に架かる浅草の「吾妻橋」の被災状況(写真提供:土木学会附属土木図書館)隅田川に架かる浅草の「吾妻橋」の被災状況(写真提供:土木学会附属土木図書館)




After:100年近くたっても現役! 丈夫な復興橋梁群が完成

震災後の帝都復興事業において、帝都復興院土木局(後に内務省復興局土木部)の橋梁課長として復興橋梁全般の設計指揮を執ったのが田中豊だ。田中は、東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業後、鉄道院に勤務し、震災前にイギリス・ドイツ・アメリカに留学した経験があった。


復興橋梁の設計にあたっては、欧米で得た知見を生かし、当時世界最先端とされたドイツの橋梁技術を採用。なかでも「隅田川六大橋」と呼ばれる橋梁群では、6つの橋をそれぞれ異なる形式としたうえ、全てに「鈑桁(ばんげた)構造(断面がI(アイ)字型になるように鉄板を組んで桁とし、柱と柱の間に渡して荷重を支える構造)」を適用した。


完成した復興橋梁のほとんどは現在も現役で使われており、都民の暮らしと経済を支えている。


隅田川六大橋のひとつ、「永代橋(えいたいばし)」。1926年竣工。3径間カンチレバー式タイドアーチ鋼橋で、橋長が184.7m、幅員は25.6m隅田川六大橋のひとつ、「永代橋(えいたいばし)」。1926年竣工。3径間カンチレバー式タイドアーチ鋼橋で、橋長が184.7m、幅員は25.6m


永代橋とペアで設計された隅田川六大橋のひとつ、「清洲橋(きよすばし)」。1928年竣工。3径間自碇式(じていしき)吊り橋で、橋長が186.2m、幅員は25.9m。永代橋とともに2007年に国の重要文化財に指定された永代橋とペアで設計された隅田川六大橋のひとつ、「清洲橋(きよすばし)」。1928年竣工。3径間自碇式(じていしき)吊り橋で、橋長が186.2m、幅員は25.9m。永代橋とともに2007年に国の重要文化財に指定された




田中豊のここがスゴイ! ~ミカミ'sポイント~

Point1:海外の最新技術を導入したチャレンジャー

田中が設計を指揮した「隅田川六大橋」とは、相生橋(あいおいばし)、永代橋、清洲橋、蔵前橋、駒形橋、言問橋(ことといばし)のこと。"橋の展覧会"と称されるように、同じ形式が1つもないのは、首都の景観を美しいものにしよう、という田中らの考えに基づいている。


また、海外の最新技術を取り入れ、「どの形式が地震の多い日本に合っているか」を知るための壮大な"実験"の意味もあったといわれる。


さらに、6基全てに採用した「長径間(支点間の距離が長いこと)の鈑桁構造」は当時世界の最先端であり、日本の橋梁技術の将来を担うものだった。その実現には解決すべき課題が多く、高い技術力が求められたが、田中はあえて挑戦したのだ。


Point2:数多くの橋梁技術者を育成した"日本橋梁界の育ての親"

田中は復興局の橋梁課長として采配を振るいながら、東京帝国大学の教授も兼任した。その講義は、ドイツの橋梁工学の理論を中心とし、設計から施工までに関わる構造力学を体系的に教える先進的な内容だった。


また、復興事業の終わりには、復興橋梁の図面と設計・施工の記録を出版するように指示。自らの経験を、橋梁技術の発展に役立てることを強く意識していた。技術者として、教育者として、まさに"日本橋梁界の育ての親"の尊称にふさわしい人物だった。


公益社団法人土木学会は田中豊にちなみ、橋梁・構造工学に関する優秀な業績に対して授与する「田中賞」を1966年に創設。半世紀以上を経て、名誉ある賞として土木界に定着している。


※記事の情報は2023年4月26日時点のものです。

【PROFILE】
三上美絵(みかみ・みえ)
三上美絵(みかみ・みえ)
土木ライター。1985年に大成建設に入社。1997年にフリーライターとなり、「日経コンストラクション」などの建設系雑誌や「しんこうWeb」、「アクティオノート」などのWebマガジンなどに連載記事を執筆。一般社団法人日本経営協会が主催する広報セミナーで講師も務める。著書に「かわいい土木 見つけ旅」(技術評論社)、「土木技術者になるには」(ぺりかん社)、共著に「土木の広報」(日経BP)。土木学会土木広報戦略会議委員、土木広報大賞選考委員。
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