2025.03.27

エドモンド・モレル|どぼく偉人ファイルNo.18 「どぼく偉人ファイル」第18回は、日本の鉄道の第一歩となる新橋〜横浜間、大阪〜神戸間の鉄道建設を手がけた外国人技術者のうちのひとり、エドモンド・モレルです。エドモンド・モレルが成し遂げた偉業のビフォーアフターを、土木大好きライター三上美絵さんが紐解きます。

エドモンド・モレル|どぼく偉人ファイルNo.18

Before:資金と技術の不足、反対論で難航した明治の鉄道建設

明治維新後の新政府は、欧米列強による植民地化を回避するべく、富国強兵策を進めていた。日本が経済発展を遂げ、近代的な国家となるためには、人やモノを速く大量に運ぶことのできる鉄道の敷設が急務だった。


だが、莫大なコストがかかるうえ、鉄道建設の技術を持たない当時の日本が、単独で事業を成し遂げるのは不可能。それでも、政府は自国の資金で鉄道を建設することにこだわった。一方で、政府内には「軍隊の強化や国民の困窮を救うことを優先すべき」との反対意見も根強かった。これらの理由により、鉄道計画はなかなか進まなかった。




After:モレルが建築師長となり、鉄道建設を指導

1869(明治2)年、明治政府はついに東京〜横浜間と大阪〜神戸間の鉄道建設を決定。資金と技術はイギリスから援助を受けることになった。翌年に来日した18人の鉄道技術者のうち、鉄道建築師長となったのがエドモンド・モレルだ。


モレルは日本に到着するとすぐに、新橋〜横浜間の測量を開始。路線を決め、埋め立て工事や橋梁工事に着手した。また、大阪〜神戸間では日本初の鉄道トンネル工事を含む全線の工事を監督した。


こうして1872(明治5)年、日本で最初の鉄道が新橋〜横浜間に開通。翌々年には大阪〜神戸間も完成した。


日本初の鉄道は、開業当時の錦絵にも描かれている。(出典:梅堂国政(三代目 歌川国貞)「橫濱鐵道蒸氣出車之圖 (横浜鉄道蒸気出車之図 )」,Public domain, via Wikimedia Commons による)日本初の鉄道は、開業当時の錦絵にも描かれている(出典:梅堂国政(三代目 歌川国貞)「橫濱鐵道蒸氣出車之圖 (横浜鉄道蒸気出車之図 )」,Public domain, via Wikimedia Commons による)


竣工当時の横浜駅(現在の桜木町駅)の様子。(出典:Michael Moser (Austrian, 1853-1912), Public domain, via Wikimedia Commons による)
竣工当時の横浜駅(現在の桜木町駅)の様子(出典:Michael Moser (Austrian, 1853-1912), Public domain, via Wikimedia Commons による)




エドモンド・モレルのここがスゴイ! 〜ミカミ'sポイント〜

Point1:将来の日本のためになることを考えて提案

モレルはロンドンのキングス・カレッジなどで学んだ後、ニュージーランドやオーストラリア、セイロン(現在のスリランカ)で鉄道建設の経験を積んでいた。日本では、できるだけ早く開通させたいという明治政府の意向を受けて、親身な提案をしている。例えば、鉄橋の材料となる鉄をイギリスから輸入すると時間がかかるため、国産材を使った木橋に変える。レンガの材料となる粘土を近くで調達できないことから石積みに変える、などだ。


また、将来は外国人に頼らず、自分たちでインフラ建設や維持管理ができるように、技術者養成機関をつくり、技術研修を実施すべきであるとも提言。これが現在の東京大学工学部の前身のひとつである「工学寮工学校」設置のきっかけとなったと言われる。


援助先の国の自立を促す支援のあり方は、受け手側にとって本当にありがたいもの。近代日本の黎明期に、モレルのような「お雇い外国人」と呼ばれる技術者がいたことを忘れてはならない。


Point2:病を押して熱心に事業に没頭

明治初期の当時はまだ、ほとんどの日本人が鉄道を見たことがなかったため、その効果も理解できず、多額の費用がかかることから反対も多かった。また、それまで陸上交通の主力であった馬子(まご)や車曳(くるまひき)といった職業の人たちも、仕事を奪われるとして反対していた。そうした逆風の中で工事を進める苦労は想像に難くない。


病弱だったモレルは、それでも熱意を持って誠実に工事の指揮監督に当たったという。しかし、寝食を忘れて没頭した結果、結核が悪化。やむなくインドへの転地療養を申し出たモレルに、政府は多額の治療費を渡して許可したものの、5日後に病状が急変し、工事の完成を見ることなく亡くなってしまった。まだ30歳の若さだった。イギリスから共に来日して看病していた妻も、心労と呼吸器系の疾患のため、翌日に死去。二人の亡きがらは、今も横浜外国人墓地に眠っている。


横浜市山手にある横浜外国人墓地にあるエドモンド・モレルの墓。(出典:© DAJF / Wikimedia Commons による)横浜市山手にある横浜外国人墓地にあるエドモンド・モレルの墓(出典:© DAJF / Wikimedia Commons による)


※記事の情報は2025年3月27日時点のものです。

【PROFILE】
三上美絵(みかみ・みえ)
三上美絵(みかみ・みえ)
土木ライター。1985年に大成建設に入社。1997年にフリーライターとなり、「日経コンストラクション」などの建設系雑誌や「しんこうWeb」、「アクティオノート」などのWebマガジンなどに連載記事を執筆。一般社団法人日本経営協会が主催する広報セミナーで講師も務める。著書に「かわいい土木 見つけ旅」(技術評論社)、「土木技術者になるには」(ぺりかん社)、共著に「土木の広報」(日経BP)。土木学会土木広報戦略会議委員、土木広報大賞選考委員。
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