2025.12.24

可知貫一|どぼく偉人ファイルNo.23 「どぼく偉人ファイル」第23回は、可知貫一(かち・かんいち)です。灌漑用水の整備において、「水を公平に分けられる」円筒分水を発明。明治から昭和初期にかけて各地で起こった農地用の水争いに終止符を打ち、その優れた技術は後にアメリカにも紹介されました。その功績のビフォーアフターを紹介します。

文:三上 美絵(ライター)

可知貫一|どぼく偉人ファイルNo.23

(出典)京都大学大学文書館

Before:高額な灌漑用水が非効率に使われていた

明治から昭和初期にかけて、富国強兵策を推進する政府は、食糧増産と農業の安定を重視した。これに伴い、耕作が困難だった台地や丘陵地を開墾して水田にする動きが活発化し、全国で用水が不足する問題が起こった。水力発電が普及するにつれて水の需要が増えると、水問題はますます深刻化していった。


これを受けて、灌漑のための新しい水源や長距離の幹線用水路の整備が進んだものの、莫大な建設費がかかることから、水の対価は高額になる。しかし、水を利用する農家側はそうした事情を意識せず、整地や水田の底を平らにする処理が不十分なせいで水を無駄にしてしまうこともあった。また、水路の仕切りを勝手に操作し、自分の田へ水を多く引き入れるなどの不正が原因で、各地で水争いも起こっていた。岐阜県の技師だった可知貫一は、この問題を解決するために、自動的かつ正確に分水できる装置をつくろうと思い立つ。




After:「円筒分水」の登場で水争いが解決

こうして可知が発明したのが「放射式分水装置」、すなわち「円筒分水」だ。1914(大正3)年、岐阜県可児郡小泉村(現多治見市)耕地整理地区に第1号が設置された(現存せず)。その仕組みは次のとおり。


円形の構造物の中心に円管を垂直に立て、導いた流水を下から上へ、「逆サイフォンの原理」によって噴き上がらせる。逆サイフォンとは、管内が水で満たされて真空に近い状態になっているとき、いったん低いところへ水を引き込むことで、ポンプなどを使わず自然に高い側へ水を噴き出させる仕組みだ。


噴き上がった水は、重力の働きで全方位へ同じ流速で流れ、円形の壁の穴を通って水路へ流れ出る。壁の穴は等間隔に開けてあるので、水路へつながる穴の数で水量は一目瞭然。灌漑面積の比率に応じて、正確に分水することができた。


「水を公平に分けられる」という特長を持つ円筒分水は、新しい用水路だけでなく、各地で昔から続いていた「水争い」の解決にも役立つことが注目され、全国へ広まった。昭和初期につくられた円筒分水が今も現役で使われている例も少なくない。第二次世界大戦後には、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の技師によってアメリカにも紹介されたという。


円筒分水の仕組み。上から立体図、平面図、断面図。逆サイフォンの原理によってAから噴き上がった水がBから穴を通ってCに流れ、Dの水路へ分水される(可知貫一の論説「灌漑計畫と放射式分水裝置に就て」を基に作成)


川崎市にある二ヶ領(にかりょう)用水久地円筒分水。1941(昭和16)年に完成し、この地で長く続いていた水争いが解決した。国の登録有形文化財(建造物)


円筒分水からつながる水路の幅は、灌漑面積の比率で決まっている。コンクリートで仕切られているので、公平性が目で見て明らかになり、不正もできない




可知貫一のここがスゴイ! ~ミカミ'sポイント~

Point 1:八郎潟干拓案など全国の農地開発を主導

可知貫一は岐阜県で生まれ育ち、東京帝国大学農科大学農学科(東京大学の前身)を卒業後、岐阜県の技師として赴任して円筒分水を発明した。その後、農商務省の技師となり、1923(大正12)年に秋田県の湖、八郎潟(はちろうがた)を排水して陸地化する干拓計画を立案したのをはじめ、全国各地の農地開発を主導した。


八郎潟の可知案は、関東大震災の復興や軍事費の増大などにより政府の財政がひっ迫したことから、実現には至らなかった。しかし、水路を設けて湖への流入水を直接日本海へ排水する、中央に残存湖を残して周囲を干拓する、排水機場(ポンプ場)を設けて干拓地内の水を排水するといった計画案は、後の実施案の基礎となる優れた内容だった。


その後、企業倒産や農産物価格の暴落を引き起こした昭和恐慌後の1933(昭和8)年には、京都府の巨椋池(おぐらいけ)で日本初となった国営干拓工事の事務所長を務め、事業を成功に導いた。また、現場での功績に加え、東京帝国大学農学部講師や京都帝国大学農学部教授を歴任し、農業土木の教育と研究指導にも尽力。日本の食糧増産と農村社会の安定に不可欠な農業土木技術の進歩に大きく貢献した。


八郎潟干拓の可知案計画略図(出典:大潟村干拓博物館


Point 2:技術によって公平性を実現した信念の人

可知は、莫大な費用を投じて整備した用水路が、不適切な分水によって本来の機能を発揮できないことに強いもどかしさを感じていた。公平性と正確性を担保でき、しかも安価で設置できる円筒分水を発明したのも、「公平な分配こそが争いをなくす」という信念があったからだ。


誰もがひと目で分かる公平性を提供することで、水の利用者である農家が互いに納得し、協調する土壌をつくり上げた。つまり、技術の力でインフラの利用効率の向上と農村社会の安定の両立を実現させたのだ。可知貫一がスゴイのは、こうした社会工学的な視点を持った指導者であったことだろう。


※記事の情報は2025年12月24日時点のものです。

【PROFILE】
三上美絵(みかみ・みえ)
三上美絵(みかみ・みえ)
土木ライター。1985年に大成建設に入社。1997年にフリーライターとなり、「日経コンストラクション」などの建設系雑誌や「しんこうWeb」、「アクティオノート」などのWebマガジンなどに連載記事を執筆。一般社団法人日本経営協会が主催する広報セミナーで講師も務める。著書に「かわいい土木 見つけ旅」(技術評論社)、「土木技術者になるには」(ぺりかん社)、共著に「土木の広報」(日経BP)。土木学会土木広報戦略会議委員、土木広報大賞選考委員。
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