2025.07.31

アクティオの災害対応 令和6年能登半島地震【3】輪島で被災した建設会社、里谷組との連携 令和6年能登半島地震でのアクティオの災害対応を伝えるシリーズ。最終回は輪島市で被災した建設会社、株式会社里谷組(さとやぐみ)とアクティオの連携について紹介する。

アクティオの災害対応 令和6年能登半島地震【3】輪島で被災した建設会社、里谷組との連携

想像を絶する横揺れが襲った

株式会社里谷組は初代里谷光蔵氏が興した創業103年の建設会社で、今回お話をうかがった営業企画部の里谷光蔵氏は初代のひ孫にあたる。


2024年1月1日、里谷氏は、里谷組が年間で契約している凍結防止剤の散布の仕事があり、その準備をしようとしていた。車に乗り、助手と電話で話していた時、震度5の地震がきたという。当時の状況について、里谷氏は次のように話す。


里谷「前年度に珠洲(すず)市で大きな地震があって、それから細かい余震が続いていたので、地震には慣れっこになっていたんですね。あまり気にせず会社に向かって、会社に着いて車から降りようと思った時です」


先の地震の4分後。午後4時10分、震度7の大地震が輪島を襲った。


里谷「ものすごい横揺れに襲われて......。ドアを開けることすらできず、そのまま車に乗っていました。すると会社の向かいにあるホテルの壁がバキバキと音を立てながら裂け始めて、お隣の漆器屋さんの屋根からは瓦がピョンピョン飛んできて、乗っている車は前後に移動するわ、会社前の国道は珠洲方面の道路が持ち上がってうねるわ......。最初は何が起こったのか分かりませんでした」


株式会社里谷組 営業企画部の里谷光蔵氏


里谷「そうこうするうちに車内のテレビから、3mの津波到達かというニュースが入ってきて、血の気が引いて慌てて外に出たら、向かいのホテルからも宿泊客や従業員が外に出てきて、とにかく無我夢中で避難誘導をしました。東日本大震災の津波の映像が頭に浮かんで、どこまで逃げればいいんだと思いましたね。できる限りのことをして、すぐ近くの海を見たら、海の底が見えたんですよ。今思えば隆起だったのですが、その時は津波で潮が引いたのだと思いました」


結局、津波は来なかったが、生活は一変した。


里谷「自宅は崩れなかったのですが、電気も水も止まり......。我が家の周りに立っている約170棟のうち、約120棟が全壊です。妻は小松市の出身で、娘と実家に帰省していたので無事でした。ちなみに、妻も娘もまだ輪島市には戻っていません。輪島市にいた両親には頼み込んで、輪島市から避難してもらいました」


従業員の安否確認もままならない状況だった。


里谷「後で分かったのですが、電波塔が全部倒れていました。5日に携帯電話がつながったので、そこからです。里谷組の社員は約30名、グループ会社の社員、アルバイトも含めると60名くらいで、幸いなことに死傷者はゼロでした。それで輪島にいる人だけで1回集まろうと決め、10日に会社で顔を合わせました」




里谷組が経営する飲食店の駐車場を、アクティオのヤードとして貸し出す

震災の被害はすさまじく、後に里谷氏の自宅の電気が通ったのは4月、水道が復旧したのは6月だった。その間、会社の敷地内でテント生活である。それでも1月、里谷氏は早々に事業を再開した。


里谷「1月15、16日だったかな。私と監督、作業員2名、計4名が出社しました。復旧作業の依頼が市役所から来るので、この4名で班をつくり作業に回る感じですね。住宅がある所の市道がメインで、とにかく車が通れるようにしました。復旧が進むにつれ、行政からの発注形態は少しずつ変わりましたが、今でも作業内容は一緒です。土砂をどけて、崩れそうな所にはトンパック(大型土のう)を置いてという作業です」


里谷光蔵氏


そんな中、アクティオから駐車場をヤード(置き場)として借りられないか? と連絡が入った。


里谷「グループ会社に飲食店があり、ゴーゴーカレーを2店舗経営しています。そのうちのひとつが能登空港(のと里山空港)の前にありまして、そこを貸してもらえないか? というお話でした。最初は店舗も......ということでしたが、ゴーゴーカレーを閉店する気はなかったので、駐車場を半分だけお貸しすることになりました」


ゴーゴーカレー のと里山空港前スタジアムの駐車場半分が、アクティオのヤードとして使用されている


それまでにアクティオの存在は知っていたのだろうか?


里谷「知りませんでした。震災後、アクティオさんのマークが入った車がいっぱい走っていて、みんなで『あのマーク、何だろうね?』と言っていたくらいです。能登地域には地場の建機レンタル業者さんが数軒あって、弊社はそんなに重機を借りる業務形態でもないので、事足りていたんですね」


結果として、ゴーゴーカレー のと里山空港前スタジアムの駐車場をアクティオに貸すことになり、今では重機もレンタルしている。


里谷「決してビジネス的に鞍替えしたわけではありません。地場のレンタル業者さんも被災しているんです。そんな時にアクティオさんと縁あって結ばれ、感謝しています。地場のレンタル業者に車両を頼んで、ちょっと時間がかかると言われてしまうと、我々も状況が分かっているので何も言えません。また我々が借りてしまうと、ほかの方が借りられないという地元特有のジレンマもありました。でもアクティオさんなら気兼ねなく言えるし、借りられます」


実際、アクティオの対応には、満足していただけているのだろうか?


里谷「最初にアクティオさんといろいろな契約をする際、アクティオの偉い方が『うちは絶対に"ない"って言いません。ただ時間はください。全国から探してきます!』とおっしゃったんですね。それで、実際に"ない"って言わないんですよ。これは本当にありがたいです。今後も臨機応変に対応していただける体制を継続してほしいですね」




再び豪雨災害で打ちのめされても、負けなかった

震災から8カ月。再び能登を襲った豪雨災害は想像を絶する試練だった。


里谷「豪雨はだめでした......。どうしていいのか分からなかった。1日、完全にフリーズしていました。川が全部氾濫して、多くの家が流されて......。でも、僕らがやめちゃったら、誰が復旧作業をやるんだろうという状況だったので、警察や消防、自衛隊の救助活動、捜索活動を後方支援していました。彼らがかき出した瓦礫や土砂をトラックに積んでは運んで、の繰り返しです。2度の災害を経験して、もともと頑丈なタイプの性格だったのですが、ちょっと弱くなったと感じる部分はありますね」



能登の「復興」はまだ先であり、能登は今もなお「復旧」段階にある、と里谷氏は強調する。同社をはじめ能登の再生に力を尽くす企業や自治体のために、アクティオは何ができるのか、絶えず模索しながら最大限のサポートを続けていく。


「復興」にはほど遠く、今も至る所で「復旧」作業が行われている


※記事の情報は2025年3月末日時点のものです。



〈ご参考までに...〉

アクティオの強み「災害への備えと迅速な対応」(アクティオ公式サイト)

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