2023.02.07

復興の最前線で、お客様のために。──福島プロジェクト〈支店探訪:東北支店 3 〉 忘れもしない2011年3月11日、日本周辺における観測史上最大の地震により、東日本大震災が発生した。大津波、火災に加え、原子力発電所も甚大な被害を受け、今もなお、懸命の復旧作業が続いている。その最前線で、復旧作業に必要な機械を現場に送り続けている拠点が、福島プロジェクトだ。

復興の最前線で、お客様のために。──福島プロジェクト〈支店探訪:東北支店 3 〉

復興を後押ししたレンタルの力

常磐自動車道の広野IC~南相馬ICの間には、今でも空間線量率を測定し、表示するモニタリングポストが設置されている。常磐富岡IC~浪江ICの間にあるエリアの多くは、今でも帰還困難区域だ。


広野ICからクルマで10分弱、福島県双葉郡楢葉町に福島プロジェクトはある。ここは津波による甚大な被害を受けた原子力発電所の廃炉に向けた取り組みをサポートする拠点で、機能的には営業所と考えて良い。


そもそも、福島プロジェクトはどのような経緯で発足されたのか? 眞部哲也 福島ブロック長に聞いた。


眞部「皆さんご存じの通り、東日本大震災で原子力発電所の水素爆発が起きてしまいました。現在も国を挙げて復旧作業を行っており、各ゼネコンさんも協力しています。2011年当時はここにアクティオの営業所はなく、双葉郡大熊町に大熊営業所がありましたが、あの日を境に一斉に避難しました。復旧を進める中で、『ゼネコンだけでは機械の調達が難しい。やはりレンタル会社も入らないと、どうにもならない』という話になりました。そこで当時の福島営業所の所長がゼネコンと打ち合わせをして、会社とも相談し、アクティオとしての支援体制の枠組みを決めて立ち上がったのが、この福島プロジェクトです。したがって、お客様は復旧作業を行っているゼネコンさん主体です」




発電機は常に100台以上稼働

福島プロジェクトが本格的に始動したのは、2016年のこと。双葉郡広野町に前線基地をつくり、自ら志願して赴任した社員数名で機械のレンタルを開始した。それから2年ほどして、現在の地に移転。ここではどのような機械をレンタルしているのだろうか? 福島プロジェクトの二瓶淳一所長に聞いた。


二瓶「バックホーに代表される重機が多いですね。ほかにはレンタカー、通信系の機器、発電機は常に100台以上稼働しています。あとはエンジニアリング事業部と連携して水処理関係の機械などですね」


バックヤードには数多くの重機が保管されているバックヤードには数多くの重機が保管されている


発電機が常に100台以上も稼働しているとは、想像以上の数だ。ちなみに、競合他社も福島プロジェクトのような拠点を設けているのだろうか?


眞部「今は皆さん、結構拠点を設けています。しかし、当初はアクティオだけでした。レンタル業界も復旧作業に協力しないと復興は無理。そんな強い使命感があったのだと思います」


レンタルした機械は定期的に入れ替えや点検作業を行うことになっているが、そのあたりはどのように行っているのだろうか?


二瓶「機械の出し入れはゼネコンさんにお願いしています。現地の発電所敷地内で機械の線量を測定し、基準値を超えている場合は現地で除染作業を行ってもらいます。重機だったら地面に接する履帯、発電機などのエンジンがついている機械は空気の吸入口、エアクリーナーの値が高くなります。あとはスポンジ部分などですね。原子力発電所から機械がトラックで福島プロジェクトに戻ってきたら、トラックの荷台に積まれた状態で弊社でも線量を測定します。万が一、線量が基準値を超えていたら、そのまま送り返します」


戻ってきた機械はアクティオ側でも線量を測定し、基準値内であることを確認。二重三重のチェック体制を敷いている戻ってきた機械はアクティオ側でも線量を測定し、基準値内であることを確認。二重三重のチェック体制を敷いている


機械の調達、出し入れなど、難しい采配を迫られるのが伊豆友希フロント課長だ。伊豆課長はかつて、現在の二瓶所長とともに福島営業所に所属し、ダム開発などを中心に機械の調達を担っていた。しかし東日本大震災が起きてその業務内容は一変した。原子力発電所の事故を受け、表土を剥いで運ぶ「除染」作業がはじまり、そこに膨大な数のバックホーが投入された。支店の各所、そして全国から重機を調達する、多忙な日々が続いた。


伊豆「福島営業所もかなり忙しかったのですが、除染がだいぶ落ち着いてきたので、二瓶所長と同じタイミングで2019年に福島プロジェクトに異動になりました。福島営業所との大きな違いは、機械の種類ですね。今までに手配したことがないような機械が多いので、当初はかなり苦労しました。とにかく機械のことを学びましたね」


福島プロジェクトを推進するうえで、アクティオの強みとは一体何なのか? やはり、あらゆる案件に対応できる柔軟性、レンサルティングを実践できる機動力なのだろうか?


眞部「ここにいる、みんなの意識だと思います。お客様が困っていることに対して、どうにかお力添えできないか、アクティオとして貢献できることはないか......。その1点に尽きると思います。断るのは簡単です。だけど、断ってしまえば何もつながりません。復興復旧も途絶えてしまう。伊豆フロント課長が良い例で、どんな無理難題でも断らないんですよ。『ちょっと待ってください。時間もらっていいですか?』とお伝えして、何とかします。やはり、難題を解決するため、前に進めようという強い気持ちだと思います」


伊豆「断ったら、そこで終わりですからね。どうしたら引き受けられるのか? どうしたら機械を調達できるのか? それしか考えていません」


眞部「例えば『草刈り機を千台用意してほしい』、そんな規模感のオーダーなんですよ。でも、伊豆フロント課長は断らない。どうにかしちゃうんです。情熱の塊である戸澤支店長が東北支店長になり、福島プロジェクトにおいてその思いに応えられるのは、伊豆フロント課長しかいないんです」




取扱量が膨大だからこそ、棚卸しは毎日実施

伊豆フロント課長が福島プロジェクトに異動になったのは、機械を采配する手腕だけを買われたわけではない。フロントの意識改革。それも大きなテーマだった。


眞部「震災の復興では、膨大な量の仕事をこなすことがテーマでした。そのことでお客様とのつながりができたことも大きい。しかしこれからは、その蓄積を生かしつつ、業務を改善しサービスの質を向上させる必要があります。変えたかったテーマはいくつかあるんですけど、そのひとつが保有機械の在庫管理です。アクティオは年2回、棚卸しを行うのですが、福島プロジェクトでは合わないことがあったんです。あるべきものがない、つまりあると思って発注を受けたら、ない......。それではお客様に迷惑が掛かってしまいます」


そこで伊豆フロント課長が中心になり、仕組みを大きく変えたわけだ。


伊豆「なぜ在庫数が狂うのか? 人的ミスがほとんどなんですね。出入庫数の管理ミス、例えば戻ってきた機械を実際よりも多く処理してしまうという具合です。それが年2回の棚卸しではサイクルが長すぎて、どこでミスしたか追うことが難しい。月1回にしても厳しいので、最終的には毎日、棚卸しすることにしました。ただし、出入りのあった機械だけです。そうしたら、当たり前ですがピタリと合うようになりました。こうしておけば、常にお客様のご要望に間違いなく、スピーディーに対応することができます」


出入りがあった機械は毎日棚卸しを行い、伝票と差異がないかチェック出入りがあった機械は毎日棚卸しを行い、伝票と差異がないかチェック


眞部「ポイントを絞って毎日やれば、必ず合います。今、この仕組みで福島ブロックは棚卸しをしていますが、山形ブロックも採用することになっています。この動きが、東北だけではなく、全国に広がることを期待しています」


左から二瓶所長、伊豆フロント課長、眞部福島ブロック長左から二瓶所長、伊豆フロント課長、眞部福島ブロック長


原子力発電所の廃炉作業はまだまだ続き、街再興のスタートとなる解体作業も依然として残されている。復興に向けて全力を尽くす傍ら、日々の業務の中に課題を見つけて業務改善にも取り組んでいる福島プロジェクト。視線の先には、常にお客様がいる。


※記事の情報は2023年2月7日時点のものです。


※2024年1月の組織改編に伴い「支店」は「支社」に、「ブロック」は「支店」に改編されています。


〈支店探訪:東北支店 4 〉へ続く

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