2024.06.07

インフラ点検を支援する独自ツールで、建設業界と業界未経験の就労弱者をつなぐ【建設業の未来インタビュー⑭ 前編】 2024年4月から時間外労働の上限規制が適用されるようになり、建設業界は長時間労働の解消に追われています。いっぽうで、社会にはシングルマザーや障害者など就労の機会を得にくい就労弱者が存在します。この2つをうまく結び付けられないか――。福岡市に本社を置くオングリットホールディングスは代表取締役CEOの森川春菜(もりかわ・はるな)氏が、そんな思いで6年前に起業しました。両者を結び付けるのは、業界未経験者でも簡単に使いこなせるインフラ点検業務の支援ツール。どんなツールを武器にビジネスを軌道に乗せてきたのか。前編では、会社の成り立ちについて森川氏に聞きました。

文:茂木俊輔(ジャーナリスト)

インフラ点検を支援する独自ツールで、建設業界と業界未経験の就労弱者をつなぐ【建設業の未来インタビュー⑭ 前編】

コンクリート構造物の損傷図の作成を自動化する「マルッと図面化」

――創業以来の中核業務が、インフラ点検業務です。橋梁の点検業務を受注した建設コンサルタントから点検調書の作成業務を受託し、そこに「マルッと図面化」と呼ぶ自社開発の技術を活用しています。これはどんな技術なのですか。


コンクリート構造物の損傷図をCAD図面としておおむね自動で作成する技術です。点検業務では通常、構造物をハンマーでたたき、損傷箇所はチョークでマーキングしたうえで、その写真を撮影します。現場ではさらに、損傷図を野帳に手描きします。そして事務所に戻ると、発注者に提出するための損傷図を、手書き図面を基にCADで描き直します。


「マルッと図面化」では損傷箇所を撮影した写真に対して人工知能(AI)を用いた画像診断を行い、その写真をCADデータに変換します。それによって損傷図の作成をおおむね自動化するのです。この画像診断プログラムでは「ひび割れ」「剥離」「漏水」「鉄筋露出」「遊離石灰」の5つの項目を検知することが可能です。


CADデータ作成は、点検業務の仕上げとして事務所で行う作業のうち負担が最も重いものです。「マルッと図面化」を利用すれば、その作業を業界未経験者でもこなせるようになります。点検業務にあたる技術者が足りない中、こうした効率化を実現できれば、新規受注の余地も生まれるはずです。


オングリットホールディングス株式会社代表取締役CEO の森川春菜氏


――現在は常務取締役CTOに名を連ねる夫の歩さんが前職では建設会社で技術開発を担当していたとはいえ、「マルッと図面化」の開発にはご苦労があったのではないですか。


はい、私は全くの素人ですからね。まず開発当初は点検業務で用いる専門用語がよく理解できませんでした。「ひび割れ」くらいは分かりましたが、例えば橋梁の鉄筋コンクリート製床版の表面で見られる「遊離石灰」になると、「何、これ?」と。


一番の苦労は、自社開発の技術への信頼を得ることですね。「マルッと図面化」の開発に乗り出したのは、2013年です。システムの枠組みを夫が開発し、機械学習用の画像データを私がひたすら入力して、つくり上げました。完成まで5年はかかっています。


業界未経験者でも本当に利用できるのかという課題については、完成前の段階で「マルッと図面化」に対して一定の信頼を持つ顧客の協力を得て、約200橋を対象とする点検業務の中でその正確性を確認しました。業界未経験で日本語の拙い留学生5名に、独自のシステムを活用してもらい、検証したのです。結果を基に道路橋点検士の資格を持つ当社の社員が正確性を確認したところ、変換ミスや変換漏れといった不具合は見つからず、顧客の信頼を高めることができました。




最新技術で就労弱者の雇用を支援し、建設業界の担い手不足解消に貢献

――起業当時は専業主婦だったとお聞きしています。会社を立ち上げた動機は、どこにあったのですか。


業界未経験の就業弱者を建設業界で雇用できないかという思いです。そんな思いを抱くようになった発端は、学生時代からの友人がシングルマザーになり、「就労の機会が限られるようになってしまった」と聞いたことです。就労弱者が存在するいっぽう、夫からは、建設業界は長時間労働の解消に追われている、と聞かされていました。


そこで、建設業界で業界未経験の就労弱者が働けるようになれば、お互い好都合ではないか、と考えるようになったのです。ただそれには、技術者が担当してきた業務の一部を切り出し、そこを業界未経験者でも簡単にこなせるようにする業務支援ツールが欠かせません。その切り出した業務の一部が橋梁点検における損傷図のCAD図面化であり、それを支援するツールが「マルッと図面化」というわけです。


――業務支援ツールを開発できたことは起業にこぎつけた1つの理由だと思います。ただ、それだけではないはず。ビジネスプランを基に会社を立ち上げ、その後、成長軌道を描けるようになった要因には、どんな点が考えられますか。


ビジネスコンテストへの応募でしょうか。2018年2月、県内で起業を希望する人を対象に福岡県が地元の民間企業・団体とともに開催する「福岡よかとこビジネスプランコンテスト」に「橋のお医者さん」というビジネスプランを引っ提げて出場しました。最終審査には残りながらもファイナリストで終わってしまいましたが、その経験が起業後の経営にたいへん役立ちました。


何よりまず資金調達です。会社勤めの経験はありましたが、起業当時は専業主婦。お金の借り方なんて、分かりません。しかし、幸いにも起業した段階で橋梁の点検業務に携わった経験のある人材を社員として採用できていたため、給与の支払いに充てる運転資金を調達する必要に迫られていたのです。


そこに救いの手を差し伸べてくれたのが、公開審査会の場に来ていたビジネスパーソンです。銀行からの出向人材で、新規事業のネタを探しに来ていました。その方が私のビジネスプランに興味を持ってくれて、銀行から融資を受けるために必要な書類の作成を懇切丁寧に指導してくださったのです。そのおかげで、運転資金の調達という会社を立ち上げて初めてのハードルを無事に乗り越えられました。


オングリットホールディングス株式会社代表取締役CEO の森川春菜氏


――今では、本社を置く福岡市のほか、同じ福岡県内の飯塚市、県外の熊本市、鹿児島市にも拠点を置いています。また2020年12月には那覇市内にもグループ会社を立ち上げ、インフラ点検業務を幅広く展開していますね。


飯塚、熊本、鹿児島の3市に置く拠点は、地元の市との間で連携協定や立地協定を締結し、それに基づき進出したものです。各地域の大学や高等専門学校(高専)との共同研究や地元企業との連携を図りながら、インフラ老朽化という社会課題の解決に取り組んでいきます。


当社はもともと、最新テクノロジーを通じて就労弱者の雇用を支援し、建設業界の担い手不足解消に貢献したい、という思いで立ち上げた会社です。技術開発の機能を本社から一部切り出し、これら3市を拠点に開発業務を新たに展開していくことで、その精神を九州地域の中で広げていきたい、という願いも込めています。


――ありがとうございました。後編では、ビジネスの要とも言える技術開発を軸に、今後の展望までお聞きしていく予定です。


※記事の情報は2024年6月7日時点のものです。

【PROFILE】
森川 春菜(もりかわ・はるな)
森川 春菜(もりかわ・はるな)
オングリットホールディングス株式会社代表取締役CEO
専業主婦をしながら5年かけて国土交通省の点検要領データベースを作成。2018 年 3月にオングリット(現・オングリットホールディングス)株式会社を設立。「テクノロジーを活用し世界中の人へ働く機会と豊かさを提供する」というミッションを達成するため奮闘中。

〈後編〉へ続く

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