2021.10.14

【蟹澤教授の豊洲だより①】番頭さんの思いを背負って 担い手不足や現場の高齢化、労働環境など、多くの課題を抱える建設業界。芝浦工業大学建築学部建築学科で教鞭を執る蟹澤宏剛教授は、アカデミックな立場で業界の課題に取り組み、日々、学生と向き合っていらっしゃいます。本連載では、豊洲キャンパスに研究室を構える蟹澤教授が、ご自身の研究や学生たちとの交流などを通して感じていることについて綴っていただきます。第1回は、ご自身の研究の原点やテーマについてです。

文:蟹澤宏剛(芝浦工業大学建築学部建築学科教授)
構成:奥野慶四郎(ライター)

【蟹澤教授の豊洲だより①】番頭さんの思いを背負って

建設業の発展を望む者として

人手不足、現場の高齢化、労働環境問題......。いま、建設業界は課題をたくさん抱えています。私は大学で建築工学を教える立場ですが、建設業の発展を望む者として、課題の解決に向けた取り組みを進めています。


例えば、現場についての様々な調査や、その結果を踏まえた問題点の指摘。国や有識者が一緒に解決策を模索する委員会などにも参加しています。いっぽうで、建設業が持っている魅力を、学生にしっかりと伝えることも使命だと考えています。彼らが業界や仕事に魅力を感じなければ、次の担い手にはなってくれませんから。




冷遇される職人たち

私が大学院生のころ、専攻テーマの研究を深めるために多くの現場を見て回りました。そのとき改めて認識したのが、元請け会社の下で施工を担う専門工事会社や職人の能力の高さ。建設業は彼らによって支えられていると実感しました。


大学院を出た後も現場の視察や研究を続けていたのですが、そこで働く人たちとの交流が深まると、徐々に彼らの本音が聞こえ始め、労働実態が見えてきました。報酬の面においても福利厚生の面においても冷遇されていることが分かってきたのです。


例えば、「すご腕」レベルの職人が驚くような低報酬で働いている。社会保険や健康保険に未加入の職人が大勢いる。保険未加入の職人は、仕事中に怪我をしても病院に行けず、自然に治るまで「我慢」している――などなど。そんな現実にがくぜんとしました。


当時、専門工事業団体や大学教授などから職人の地位向上を訴える声が上がっていましたが、長年染み付いた業界の体質はそう簡単には変わりません。そんな折、専門工事会社の番頭さんに、一緒に飲んだ席でこう言われました。「この業界は綺麗事では済まないことが多い。そこに問題の本質がある。将来、世の中に発言できる学者になって、職人たちの処遇改善に取り組んでくれよ」と。


まだ若かった私に彼らの望みを託してくれたことがうれしく、同時に身が引き締まる思いでした。それ以後この言葉は、私が様々な取り組みを進めるうえでの土台であり、エンジンでもあり続けています。





現場の処遇改善に光明

職人の社会保険未加入問題がようやく顕在化したのは、2006年。常軌を逸したダンピング合戦を続けていた建設業界の健全化を図るため、国土交通省(以下、国交省)が立ち上げた「建設業のビジネスモデルに関する研究会」がきっかけでした。


この会合には私も呼ばれ、ダンピングする不良不適格業者を判別して建設市場から排除する方法を、国やほかの委員と一緒に模索しました。そのとき、私が提案したのが「職人の社会保険の加入状況を判断基準にする」というアイデアです。社会保険未加入の日雇い職人を現場に出すことで雇用にかかる経費を抑え、工費を下げるダンピング――。こうした違法行為がまかり通っている実態を逆手に取ったわけです。


ただ当初、ほとんどの会合出席者はこのアイデアに対して懐疑的でした。「社会保険に入るのは国民の義務であり権利」という前提に立てば、保険未加入の職人は、仮にいるとしてもレアケースだと考えたのでしょう。


しかし、国交省が公共工事の現場で働く職人を調査すると、私の指摘どおり未加入者が多くいることが明らかになりました。国はダンピング対策に乗り出すとともに、社会保険未加入問題にも着手。2019年に改正された担い手3法では、現場の処遇改善策として社会保険への加入が要件化され、未加入業者は建設業許可の申請や更新ができなくなりました。


現在、公共工事では、建設現場における職人の3保険(雇用、健保、厚生年金)加入率は88%、企業別では99%となっていますが、10年前は57%、企業別でも84%でした。関東圏では順に38%、70%でしかなかったのが82%、99%になりました。番頭さんのあの一言から時間はかかりましたが、成果は出せたと思っています。




担い手を業界全体で育成

持続可能な建設業の実現に向けて、これから取り組みたいと思っているテーマの1つが人材育成です。建設業の人手不足は入職した若年層の歩留まりの悪さに起因していて、入職しても、その3年後には半分〜3分の2が辞めてしまう。これは、育成方法に問題があるからです。


例えば、無計画で行き当たりばったりの指導や「見て覚えろ」のOJT*1では、若手は自分の成長イメージを描くことができず、途方に暮れてしまいます。次の到達点や目標を具体的に示し、彼らのモチベーションを維持しながら育成していく必要があります。


*1 OJT:On the Job Training(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)の略。職場の上司や先輩が、部下や後輩に対して、実際の仕事を通じて知識、技術などを身に付けさせる教育方法のこと。


私が提案したいのは、ドイツのマイスターやアメリカのユニオンなどのような、職人を業界全体で育てる「見習い制度」を日本にも整備すること。平日は企業で見習いとして働き、週末は学校に行って仕事に必要な知識や技能をみっちり教えてもらう。彼らの教育にかかる費用は、業界が基金などをつくって捻出していく――といったイメージです。


それぞれの職人に技能や知識がしっかりと身に付いていれば、職場・現場を移ることはあっても建設業界を出ていく可能性は低くなります。貴重な人材の流出を防ぐ効果もあると思います。


※記事の情報は2021年10月14日時点のものです。

【PROFILE】
蟹澤宏剛(かにさわ・ひろたけ)さん
蟹澤宏剛(かにさわ・ひろたけ)
芝浦工業大学建築学部建築学科教授。1967年生まれ。千葉大学大学院(自然科学研究科博士課程)を修了後、財団法人国際技能振興財団に就職。その後、工学院大学や法政大学、ものつくり大学などで講師を務めた後、2005年から芝浦工業大学工学部建築工学科助教授、09年から現職。国土交通省の担い手確保・育成検討会委員、社会保険未加入対策推進協議会会長、建設産業戦略的広報推進協議会顧問、建設産業活性化会議委員などを歴任。技能者の社会保険未加入問題を顕在化させた。
(※芝浦工業大学は、2017年に工学部建築学科、建築工学科およびデザイン工学部デザイン工学科建築・空間デザイン領域を統合・再編し、建築学部建築学科を開設した)
ページトップ